修理不能の湯沸かし器
おととい突然壊れた瞬間湯沸かし器の修理に、ガス屋さんが来てくれました。
このボロアパートに引っ越してきてから、かれこれ30年近くの付き合いのガス屋さんです。
何かあればすぐに駆け付けてくれるこのガス屋さん
いつも来てくれるのは、S君という派手な笑い方をする気さくな男子なのだけど、思い起こせば、ここに引っ越してきたばかりの頃は、もっと年配の男性が担当だったように思います。
30年も経てば、ガス屋さんの従業員の入れ替わりも当然あるでしょうが、どなたも親切で迅速な対応をしてくれるのはありがたい限りです。
肝心の湯沸かし器は、やっぱり修理不能のようでした。
買ってから16年も経っているので寿命というヤツです。
来年引っ越す予定で、買い替えはしないことを話す私に、S君は、「たとえひと冬でも、冷たい水で食器を洗うなんてかわいそうに。不要な湯沸かし器が出たら冬までに取り付けにきてあげるわ」
なんて言って、そんな湯沸かし器が出るかどうかもわからないのに、気持ちだけは親切なことを言ってくれました。
私も期待などしていないし、たとえ、実現しなくても逆恨みなどするつもりもありませんが、その気持ちが嬉しいだけです。
雷雨の中でワクチン接種
昨日の母のコロナワクチン接種の最中に雷雨になって、待合室にいた十数名の高齢者は一斉に窓の外を見ていました。
窓の外には駐車場があるのだけど、その雷雨の中、車から出られない高齢者のために、お医者は傘をさした看護師さんと一緒に駐車場まで出向いて、ワクチンを接種していました。
コロナ禍のワクチン接種の実際は、テレビでもよく見る光景
接種する側の人手不足から歯科医も協力している日本です。
人々がこうして身を挺して助け合う姿を見ると、猜疑心の強い私でさえも人を信じる心が自然に芽生えてくるのは、長く続くコロナ禍のおかげと言っては変ですが、そんな気もしています。
終わりよければすべてよし
長く住んではいるものの、生まれ街ではないこの田舎街は過干渉な人が多く、私にとってはどこか違和感があって住みにくい街だと思っていたけど、離れると思うと良さがわかるというのは今更ながらです。
周囲は何も変わっていないのに、私自身の見方が変わったのでしょう。
だからと言って、定年後に生まれ街に戻りたいという気持ちには変わりありませんが、最後にいい印象でこの街を離れられそうなのは幸せなことかも知れません。
終わりよければすべてよし
数か月後にはそんな風に思えそうです。