入院、手術、それが一番困る、一人暮らしのシニア女子
今朝の新聞で目に留まった記事があった。
60代おひとり様の女性に子宮体癌が見つかり、手術が必要になったらしい。
主治医は信頼できる医者で、手術自体も安心できるのはいいのだが
問題は、手術当日の付き添いの他、家族など計5人分の連絡先を病院に提出しなくてはならないと
わかるわー、この気持ち
私も前職在籍中、50歳を過ぎたあたりから急に体に異変が起き始め、計3回の入院手術をしたのだが
その度に、連帯保証人だの緊急連絡先だのを書類に記入して、病院に提出しないといけなかった。
その頃は、頼りにしていた従兄がいたり、田舎には権力者の知人があったり、
頼めばいつも二つ返事で引き受けてくれて、心強い存在だったが、頼みの綱の二人は亡くなってしまった。
ならば他に、近しい親族や頼める人はいないのかという話だが、居るには居ても頼りにならない、頼りに出来ない、頼りたくないというのが現状
私も60歳を過ぎ、思ってもみなかったケガにも見舞われ、未だ痛みやしびれと付き合いながら暮らしている身
この先の不安がないと言ったらウソになる。
そんな不安が走馬灯のようにぐるぐる回る夜は、やっぱり眠れない。
たまに、救急車を呼ぼうかと思うほど体調が悪い時があるが
悲しいかな、痛みが治まるまで堪えることしかできない。
救急車を呼んだ後のことを考えるからだ。
処置後に帰宅という運びになった時、すぐに迎えに来てくれる家族はいない。
万が一、入院とか手術とか、そんなことになった時はもっての外だ。
そりゃあ、頼めば親族のうちの誰か来てはくれるだろうが、正直言って、そんな時ばっかり頼むのも気が引けるというのが本音
とは言え、備えあれば憂いなし
こうなったら他人を頼るしかないということになるが、
近いうちに一度、この地域の民生委員さんを訪ねてみようと前から思っている。
一人暮らしのシニアや高齢者は珍しくない時代だ。
事情を話したところで驚きもしないだろうし、いざという時に頼れる存在があるのとないのとでは、気の持ちようも変わってくるだろう。
結局、今朝の新聞のおひとり様は、友人やお世話になった弁護士さんに頼み込んで、なんとか5人分の連絡先を埋めたらしいが、この話の先には、5人分の名簿どころではなくなった展開が待っていたらしい。
知るのも恐ろしいが、同じおひとり様として次回の記事には興味津々
何はともあれ、健康であることが一番だが、望み通りピンピンコロリとは限らない。
出来る手立てはしておこう。
今日の夕ご飯
今日は2日ぶりに散歩
裏起毛のTシャツを引っ張り出した、昨日とは打って変わって蒸し暑い。
散歩から帰ったら、体中から止めどなく汗が噴き出した。
気持ちのいい汗だ。
今日の夕ご飯
かつ丼
野菜サラダ
ねぎ入り納豆
漬物
麩とわかめのお味噌汁
芋焼酎のお茶割り
かつ丼のカツは、先日スーパーで買った総菜の冷凍保存のレンチン
1枚のロースカツを半分だけ使って玉子でとじた。
残りの半分は明日の昼ご飯だ。
勝手口裏の通路で育てているミニトマトが結実した。
朝陽が少し当たるだけの場所だが、何とか生き延びている。
同じミニトマトでも置き場所によって生育の仕方が随分異なる。
昔は、親の面倒を子がみるのは当たり前だったが、今は違う。
親を施設に預けるのは当たり前の時代とは言え、そう仕向けているのは社会のような気もする。
いよいよ、一人で暮らせなくなったら、そうせざるを得ないのだろうが
施設なんてそんなに良いところじゃない。
望んで入る人なんかいない、皆、仕方ないから入るのだ。
子供が親に「良い所に入れて良かったね」と言うのは、そういう所に親を押し込めた自分を肯定したいのもあるだろうし
とは言え、それもこれも仕方のないことだ。
親の面倒をみていたら、自分の生活が成り立たないし自由もなくなる。
人の世話にならないと生きていけないほど、長生きなんかするもんじゃない
と思ったのは元介護職の率直な感想
私も適当なところでオサラバしたいと思っているが
その時期については、神のみぞ知る。
今のところは、散歩に励んで健康管理する日々か