節分が終わり、立春を迎え
節分だからと言って鬼のお面を飾ったりはしないけど、立春を迎えたら次に飾りたいのは雛人形
娘が生まれた33年前
一般的には、初節句には煌びやかな雛人形を飾ってお祝いするのだろうけど、その頃、私はすでに実家に出戻っていたので、そんなお祝い事はスルーしていました。
結局、そんな雛人形を持たないまま娘は大人になってしまったけれど、それでも娘は結婚して幸せに暮らしているところを見ると結果オーライ
娘の初節句に実家の母がどこかで買ってきた安物の雛人形は、捨てずにこの家に持って来ました。
田舎のボロアパートでは飾りもしなかったのだけど、何となく
昨日、その雛人形を玄関のニッチに飾ってみたら、まんざらでもありません。
ニッチに飾るにはちょうどいい大きさ
捨てずにとっておいて良かったです。
しばらく実家にも行っていないけど、もう少し暖かくなったらアポなしで母の顔を見に行ってこようかという気になりました。
玄関はこの雛人形のおかげで、季節感が出ていい感じ
一人暮らしをしていても、年中行事はさりげなく取り入れたいと思っていますからね
我が家にはもう一つ雛人形があります。
大量生産された廉価品ではなく、世界でたった一つの雛人形
娘が通っていた保育園で作った紙粘土の雛人形です。
今年はリビングのウッドシェルフに飾りました。
今では大富豪になったzozoの前澤さんは、貧乏時代を忘れないように、その頃よく食べたカップ麺をキッチンの引き出しにいつも入れているとテレビで観ました。
今でこそ人並みの暮らしができるようになった私も、あの頃は内職で生計を立てていたので、冗談にも楽な暮らしではありませんでした。
娘が作った紙粘土の雛人形は、そんな時代のあれこれを思い出させてくれる貴重なモノ
毎年飾るほどに愛着が湧いてきます。
この家ができた時
あの頃手に入れることが出来なかった五段とか七段飾りの雛人形を、広い玄関ホールに飾れば素敵だろうなぁと、半ば買う気満々だったけど、今となっては、この二対の雛人形があれば十分
そんな仰々しい雛人形を今更買ったところで、私が死んだ時に処分に困るだけです。
リビングに行く度に紙粘土の雛人形を眺めては、思わずほくそ笑んでしまいます。
幼かった頃の娘の可愛い顔が思い出されます。