本当は人に話したくない因果応報 / 体重計

本当は人に話したくない因果応報

本当は人に話したくないことだが

今まで、学校、職場、地域など、それぞれの場所での人との関りの中で

そりゃあ誰とでも仲良くできればいいのだが

この人苦手、もっと言えば嫌い、更に言えば大嫌い、顔を見るだけで虫唾が走るとか

そういう感情が芽生えることは、だって人間だもの、誰でもあると思う。

だけど、そういう感情を抱き続けることは、自分にとって何のメリットも生み出せず

初めは「コイツ、しばいたろか」と思っていても、ほとぼりも冷め、最後に必ず思うのは

別に私が相手に対して何かしなくても、きっと神様が何とかしてくれると

若い頃、同じ職場で働いていたメッチャ意地の悪い中年男性がいたが、いつも私はターゲットにされ、私の家族の悪口まで直に聞かされていた。

そんなこと、私に向かって言えば私の気分を害することをわかっていて、悪意丸出しだ。

それが毎日のように続いていたが、ある日突然、男性は職場を辞め、私の前からいなくなりせいせいした。

私にしてみれば地獄のような毎日だったのが、もう男性の顔を見ることもなくなり、それだけで十分だった。

それからしばらくしてから、その男性が胃癌で亡くなったことを風の便りで聞いた。

その時初めて、因果応報という言葉を意識したのだが

それから今までの間

私が嫌いになった人に何らかの不幸が訪れるのは、まんざら偶然とも思えない。

突然ご主人が亡くなる、本人が交通事故に遭う、末期癌が発覚、自慢の娘の離婚など

別に私は相手に不幸になって欲しいと願っていたわけでもなく

きっと神様が何とかしてくれる、と思っていただけなのに

また同じことが起った。

私が嫌いな人の御主人の名前が、今日の地方紙のおくやみ欄に掲載されていた。

嫌いな人と言っても、嫌いになったことすら忘れていたぐらいだ。

田舎に住んでいたあの頃

ボロアパートに住むシングルマザーの私のことを見下したり蔑んだり

そんな彼女のことを私は同級生のよしみで笑ってごまかしてはいたが、いつか見返してやろうとは思っていた。

あれから何年も経った今、まさか、御主人がこうなるとは、まだ若いのにお気の毒なことだ。

いんが-おうほう【因果応報】

人はよい行いをすればよい報いがあり、悪い行いをすれば悪い報いがあるということ。 ▽もと仏教語。 行為の善悪に応じて、その報いがあること。 現在では悪いほうに用いられることが多い。

善い行いをすればよい報いがあるとはいっても、なかなか人って変われるものではないが
自分に悪いことが起こった時、ハッと気づけば変われるかも知れない。
それは勿論、私にも言えること

体重計

昨日は結局、届いたばかりのシュトーレンを1本食べてしまって

おそらく体重も増えているのではと想像しているが

こんな時に限って体組成計が壊れて、ウンともスンとも動かない。

 

今日の夕ご飯

洋食亭ハンバーグ 和風玉ねぎソース
野菜サラダ
納豆
漬物
味噌汁
芋焼酎の湯割り
ほうじ茶

壊れた体組成計の製造年月日を見たら2018年製

6年で壊れたということになるが、新たに注文したのはシンプルに体重だけ測れる体重計にした。

正直言って、内臓脂肪とか筋肉量とか基礎代謝量なんて見てないもんね

 

シンプルな体重計

道子

60代一人暮らし 定年退職後、フルリフォームした中古住宅で暮らしています。