日曜日の今日
食料品の買い出しに行き、いつものように実家の分を届けました。
母は私が引っ越す日が近くなったからか何だか元気がないように見えました。
「家が完成したら一回見に行くか?」と訊くと、「そりゃあ見に行ってもいいけど〇〇(兄)のことがあるでなぁ」
と、相変わらず母は出来の悪い兄のことが気がかりのようです。
私について来るのか、田舎に残って兄と暮らすのか
高齢の母に、その選択を迫るのは酷な話かも知れないけれど、母の介護の必要性は時間の問題です。
いずれ誰かが母の世話をしなければならなくなるのです。
私は母の世話をする覚悟はできているのだけど、母は「誰かの世話になって生きていくぐらいなら死にたい。」と言っています。
ごもっとも
老後が楽しみで仕方がない私だって、誰かの世話にならずに一人で生活できることが大前提の話しです。
誰かの世話になるということは、ご飯を口まで運んでもらったり、抱えてお風呂に入れてもらったり、オムツを替えてもらったり、そういうことです。
それが介護の実際
それを生業にしている人が多い今の世の中
それくらい介護が必要な高齢者が多いのです。
母には、誰かの世話になることへの不安を払拭させようと、私の世話+介護保険を使って提供してもらえるサービスのことなども話したけれど、話せば話すほど母の顔が曇り始めたので途中で話すのをやめました。
若い頃は向こう意気が強かった母のことです。
誰かに気を遣って頭を下げてまで、自分の下の世話などしてもらいたくない気持ちは十分わかります。
私だって同じ気持ちで老後を迎えるのですから
長寿祝いの行事
60歳還暦
70歳古希
77歳喜寿
80歳傘寿
88歳米寿
90歳卒寿
99歳白寿
100歳百寿
長寿祝いに心から喜べるのはいつまででしょうか
私も適当なところでおいとまさせてもらえたらと思っておりますが、医療も発展していることですし、なかなかそんなわけにはいかないでしょうね