今年度で定年退職する私のこれからを、周囲の方々は当の私より心配してくれます。
とりあえず、私はすぐに就職する気はなく、住める中古住宅を手に入れたら、母の介護に専念したいという考えがあって、心配してくれる方々にはそう同じことを言っています。
だけど、この辺りの方々の考えは、60歳はまだまだ働ける年齢であって、働かないなんて考えられないとおっしゃいます。
介護が必要な親がいるなら施設に入れる、ケアマネをつける、ショートステイを利用する、そして自分は当然働きに出るのだと
働かないでどうやって暮らしていくのか、貯金なんてすぐ尽きるとか
まるで私の考えが机上の空論であるかのように
13年前に亡くなった父は、最後に病院に入院してから10日足らずで亡くなりました。
心臓が悪かったので、入院する前に私のところで引き取って看ていた日々、父は横になる時間も多かったけど、普通にご飯も食べ、私の介助でお風呂に入り、図書館で借りてきた本を読み、好きな野球をテレビで観て、娘や私と長い会話を楽しんでいるように見えました。
父の容態はあまり良くないと感じていたモノの、我慢強い父は私に心配をかけまいと平静を装っていたようで、たまたま切れかけた薬を処方してもらうために、かかりつけ医に行った時の血中酸素濃度や足のむくみなどが尋常でなかったことから、すぐに総合病院にかかるように言われ、そのまま入院しました。
入院してからというモノ、強い点滴が始まり、見る見るうちに父は人が変わってしまったようにベッドから起きられなくなりました。
はじめは自分で尿瓶におしっこをしていたけど、尿瓶に取ったおしっこもベッドの上にこぼしてしまい、看護師さんにイヤな顔をされながらもシーツを替えてもらっていました。
そのうちに尿瓶でおしっこを取ることもできなくなりオムツを当てられました。
父の腕も足も点滴の針が刺さっていて何本もの管でつながれていました。
これじゃあ寝返りも打てないと思いました。
喉に溜まった痰を取るために吸引が始まったのだけど、鼻から吸引の管を入れられた時に粘膜に傷がついたようで、鼻の入り口周辺に乾いた血がこびり付いていました。
徐々に会話も成り立たなくなり、字も書けなくなり、そのうちにご飯も食べられなくなり、意思の疎通も出来なくなり、目を開けることも少なくなっていきました。
そんなに弱ってしまったのに、毎日ベッドから体重測定機にスライドして体重を測ってもらっていました。
この頃から私は、父はもう良くならないかも知れないと思うようになりましたが、それでも奇跡が起きないかと希望を持って毎日病院に通っていました。
しばらく休みを取って父を看ていたけど、翌日から仕事に復帰する予定だった真夜中に「お父さんの息が止まりそうだから」病院からと呼び出しの電話があり、直行すると病室で父は看護師さんから心臓マッサージを受けていて、少し経つと、まるでシナリオ通りのような風に主治医が入ってきました。
そして、医師は看護師に「もう止めていいぞ」と心臓マッサージを止めるように声をかけてから「〇時〇分死亡確認」と言って医師と看護師は父に向かって合掌しました。
あっけない幕切れでした。
10日前まで、私のうちで普通にご飯を食べ、お風呂に入り、本を読み、野球を見ていた父です。
専門的なことはわかりませんが、もし入院していなければ、もっと長い時間うちで普通の暮らしができていたのかも知れないとも思えました。
それまで父が寝ていた病室のベッドの上には、外された何本もの点滴の管が散乱して、シーツには血や何のシミかわからないシミがいっぱい付着していました。
葬儀屋が病院に到着するまで1時間以上かかりましたが、葬儀屋が到着した時には主治医はすでに病院を後にしていたようで、最後のお見送りは夜勤の看護師だけでした。
これが父と父を10年近く診た主治医との最後のお別れとなりました。
父の死に関して誰を恨む気もありませんが、父の死を病院で目の当たりにした時、病院で死ぬということはこういうことなんだと愕然としました。
定年退職後、就職しないで母をうちで看たいという私の思い、私自身もできれば死ぬまで自宅で暮らしたいという思いは、父の最期を見た時から始まりました。
周囲が心配してくれる経済的なことは、当然のことながら不安がゼロというわけではないにしろ、当面の間は貯金を崩し、あとは何とかなるだろうと割と楽観的に考えています。
そんなに裕福でもなかった私の祖父も祖母も、家族に見守られながら自宅で亡くなっていますから。
これから迎える楽しい老後
お金お金とあんまり脅かさないでほしいものです。
蒸し暑かった今日の夕ご飯は、さっぱりとそうめん
そーめんは、めんつゆにしょうが、刻みねぎ、すりごまなどの薬味を添えて食べるのが一般的です。
亡くなった祖母はそーめんにソースをかけて食べるのが好きでした。
子供心に祖母のそーめんの食べ方は変だと思っていたけど、祖母がその食べ方が好きなら誰がとやかく言う筋合いもありません。
私の定年退職後の暮らし方もまた然り