実は3日前
今日で3連休も終わりなのだけど、連休初日の起き抜けに、北側の部屋のカーテンを開けるために薄暗い部屋に入るや否や、家具の角に足の小指をぶつけました。
狭い部屋で暮らしているとよくあることで、少しの間は痛くても、そのうち痛みも治まるだろうと高をくくっていたところ、いつまで経っても痛みは治まらず、夕方になってから靴下を脱いでぶつけた所を見てみたところ、小指どころかその周辺一帯が腫れ上がり真黒に内出血していました。
道理で痛いはず
この3連休はリフォーム屋とのスケジュールが合えばと入れていた連休だったのだけど、あいにく調整がつかず先延ばしになっていました。
何の予定もない3連休になっていたのが丁度よかったのです。
偶然にも3連休の間に、登録しているついてるネットさんから届いたメールのタイトルが「ちょうどよかった」でした。
「ああ、ちょうどよかった」という言葉は、パニックになりそうな気持ちを静め、
隠された”神様のメッセージ”に気づける状態に、心を戻してくれます。
試しに、心に引っかかっている問題があるなら、今すぐ、「ちょうどよかった」と言ってみましょう。
あなたの脳は、すぐさま「いったい、何かよかったんだろう?」と答えを探し
はじめます。
すると、その事実に隠された。神様からの真のメッセージ”が浮かび上がって
くるでしょう。
最近、体調が悪くて落ち込んでいたというなら、
「これは、忙しすぎるから少し休みなさいという意味かもしれない」
テレビの調子が悪くてイライラしていたなら、
「テレビを消して、たくさん本を読んだほうがいいという意味かもしれない」
というように、脳はいくつもの答えを導きだしてくれます。こうなると、どんなストレスも消し去ることができるようになります。
精神的にタフになり、とても打たれ強くなります。
サバイバルな時代を生きぬくための力もくれる、まさに魔法の言葉です。「ああ、ちょうどよかった!」
気持を整理すると「いいこと」がいっぱい起こる!
植西總 王様文庫
ついてるネットに登録してから、ほぼ毎朝、こんな感じのメールが届きます。
それが、今の自分の状態にタイムリーに届くもんだから、ついつい肯いてしまって不思議と言葉一つで元気になったりするんです。
物事悪く捉えるかよく捉えるかで一日が一生が変わる気がします。
リフォーム屋とのスケジュール調整は出来なかった。
せっかく取っていた3連休が無駄になった。
3連休初日に足の小指を負傷した。
小指の回復に丁度良かった。
ホントにちょうどよかったのです。
そんなわけで今日は朝から料理三昧
あれこれと大量におかずを作り実家にも届けました。
けんちん汁
きんぴらごぼう
柿のマカロニサラダ
タコ飯
タコ飯は炊き上がりの写真を撮り忘れました(-_-;)
そして、私の夕ご飯
大量に作ったおかずの半分を、それぞれタッパーに詰めて実家に届けると、母は「今日は祭りや」と言って喜んでいました。
母と同居していれば毎日これくらいのおかずは普通に作ってあげるのに、これを見て祭りだと言う母を思うと、同居していないことに多少の罪悪感を感じました。
昔は当たり前だった高齢の親の世話というテーマは変わりつつあります。
そういう私も人の子の親ですが、私の場合、そもそも、おかずを作って届けてもらえるような距離に子供は住んでいません。
これからの時代は、自分の世話は自分で
それができなければ他人様の世話にならなければいけません。
クールと言えばクール、薄情と言えば薄情だけど、考えようによっては誰にも気を遣わず気楽に最後まで生きられそうで、私的にはそれが苦ではありません。
終の棲家も見つけたし、今の時代に生きられて丁度良かったと思いたいです。