今日は月一のクリニック受診日
いつものように、まず血圧測定をしてもらったのだが、
今日はいつになく加圧が強く、帯の締め付けで腕が痛くなるぐらいだった。
そうは言っても測定できるまで数秒の我慢
圧が抜けて数値が出たら、案の定いつもより高かった。
瞬時に測り方のせいだと思ったが、お医者は首を傾げて血圧が高いことを指摘した。
今日の場合は絶対、締め付け過ぎが原因だと思ったが、間違ってもそんなことをお医者に言えるわけもなく
少しぐらい血圧が高いぐらいなんだ
病院で測ると数値が高めに出るのは白衣高血圧
自宅で測れば正常値のはずだと心の中で言いわけして
相変わらずへらへら笑って、その場をやり過ごした。
何でも最近、高血圧や高脂血症の既往歴のある患者に対して問診や指導を行うようになったようで、今日はあれこれ質問された。
お酒は飲みますか?→はい、毎日焼酎を
間食はしますか?→はい、毎日煎餅、チョコ、アイスを
運動はしてますか?→いいえ、今は腰が痛くてできません
などなど
そりゃ、お医者の目から見ればまったく模範生ではないが、これもダメあれもダメって
じゃあ何を楽しみに生きていくのだ。
月一でクリニックを受診して持病薬を処方してもらい、言われるままに飲んではいるが
実のところ、そんなに長生きしたいとは思っていない。
定年退職と同時に婦人科系のガン検診は一切やめたし、年1回の健康診断だって本当はどうでもいいと思っているぐらいだが
生きている間は健康じゃないとやっぱりね
要は、本来の自分の寿命に逆らいたくないわけだ。
15年前、病院で亡くなった父の最期の姿を見て情けなかった。
スパゲッティ症候群だ。
絡まった何本ものモニターや点滴の管で体をぐるぐる巻きにされ、血液や体液で汚れたシーツの上で息絶えていた。
普段からお医者のお世話になっていて矛盾しているようだが
医者の言いなりになりたくない、というのは本音
クリニックに行ったついでに、例の如く遠回りして散歩
ドラッグストアで買い物もした。
荷物が多くなると痛い腰に響くため、いつも少なめの買い物を心がけている。
今日の夕ご飯
ほっけ
野菜サラダ
洋風肉じゃが
漬物
ニラ玉中華スープ
芋焼酎のお茶割り
60歳を過ぎ、これからどう生きるかを考えると同時に、どう死にたいかも考えるようになった。
先日亡くなった中尾彬さんは、生前から御夫婦で10年かけて終活に励んでいたようで、その内容を拝見すると、死は生の延長線上にあるかの如く緻密で、別世界へ行くための準備のように感じた。
本格的に「終活」を始めたのは2013年。まず、残されたきょうだいや親戚が揉めないように証人の立ち会いのもと、遺言状を作成した。
「その後、千葉・木更津にある中尾さんの実家を改装したアトリエと、沖縄のセカンドハウスを売却しました。また、東京・谷中にある志乃さんの実家の菩提寺に、夫婦が入るお墓を新たに建立。このお墓には、志乃さんの母方の祖父母と、両親も眠っています。中尾さんが“みんなで一緒に土に還ると思えばいいんだよ”と志乃さんに提案したそうです」(前出・池波の知人)
売れっ子の芸能人夫婦だけに断捨離のスケールも大きく、食器や台所用品に加えて1万枚の写真やトラック2台分の推理小説を廃棄。「ねじねじ」と呼ばれて中尾さんのトレードマークだった大判のストールも200本処分した。中尾さんはモノだけでなく、人間関係も整理した。
引用元:https://www.news-postseven.com/archives/20240523_1965451.html
変な言い方だが、ここまでキチンと準備しておけば恐れもなくなるだろう。
死ぬこと自体より、自分が死ぬことによって誰かに迷惑がかかることの方が怖い。
父が死んだ時は本当に困った。
通帳のある場所から預金残高など、何も知らされていなかったし
その他諸々の複雑な事も全部、私に丸投げされてしまったからだ。
死んだら終わりじゃない。
終活は今生きている者の責務だとあらためて思った。
2年前から書きかけのままほったらかしているエンディングノート
デイトレで撃沈している場合じゃない。
取り急ぎ、まずはこれを書き上げよう。
終活の本番はそれからだ。
それからの方が長い。
死を意識して生きると活動的になれるというが、まさにその通りだ。